完全に根本主義的になって、すべてを含む霊にしたがって歩く


救いの確信に関する真理と命としての
キリストに関する真理

 七十年以上も前、主によって興されたウオッチマン・ニー兄弟は、聖書を繰り返し、徹底的に読んだ人でした。ヨーロッパやアメリカから中国にやって来た数百人もの宣教士たちは、ある意味で忠実な人たちでした。しかし、彼らは救いの確信に関する基本的な真理をその地のクリスチャンたちに明確に示すことをしなかったのです。彼らは聖書を翻訳し、聖書から宣べ伝え、聖書を教えることはしましたが、キリストにある信者は救いの確信を持つことができること、また持つべきであることを言いませんでした。ニー兄弟は主に興されて、救いの確信に関する真理を宣べ伝え、また教えましたが、わたしも彼に倣って同じ事をしました。わたしたちは行く先々で会った人々に、あなたは自分が救われていることを知っているかと尋ねました。わたしたちがこの質問をすると、牧師や伝道者たちは笑いながら、そんな事ぐらい知っているとわたしたちに誇らしげに言いました。こういう状況の中で、ニー兄弟は救いの確信に関する真理のために戦ったのです。今や、中国の至る所にいる何百万というクリスチャンは救いの確信をもって主を信じています。彼らは主を信じるやいなや救われ、そして救いの確信が与えられることを知っています。今の状況は、ニー兄弟がこの基本的な真理のために戦いを始めた時とは非常に違っています。  ニー兄弟は真理のためにさらに戦い続け、ついにわたしたちの命としてのキリストについて、また、キリストを命とすることについての真理を解き放しました。この真理も中国で伝道活動をしていた宣教士たちの語らなかったものです。信者たちは救いの確信を持った後、彼らの命としてのキリストを持っていること、さらにキリストを命とすること、そしてキリストによって生きるべきことを見る必要があるのです。